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2008年12月

2008年12月27日 (土)

年賀状

旧年中はお世話になりました

 今年も年賀状の季節になりました。今年こそは早く書き上げて年内に投函しようと毎年のように思うのですが,案の定,またもや未だに手がつけられていません。こんな事を巡っていつも一もめ?するのが我が家の恒例行事となっています。

 でも,年賀状を交換するというこの日本の習慣が嫌いではありません。たとえ年に一回でも消息を確認しあうことで互いの「無事」を喜びあったり,送信者の家族欄に名前が増えていることでお子さんの出生を知ったりと心温まる便りではあります。これまでにおつき合いいただいたお子さんからいただく年賀状の文面が年々大人らしくなったり,シングルマザーで子育てなさるお母さんの住所変更が妙に気になったりと,たった一枚のハガキに心が動きます。

 それにしても今年は喪中による「年賀欠礼」がやけに目立ちます。私たちの年代もそろそろ父や母を送る?歳に差しかかって来たのでしょうか。少しソワソワする年の瀬です。(GP4317)

 良いお歳をお迎えください。 GP指導室一同

2008年12月20日 (土)

塩鮭

 新潟の習慣なのでしょうか,毎年我が家ではお正月に「歳とり魚」と称して塩鮭の切り身を食することになっています。(ちなみに関西の方では鮭でなくて鰤(ブリ)なのだそうですが。)食卓に並ぶ眩しいばかりのご馳走の中でもひときわその存在を主張していたのが切り幅10cmもあろうかと思われるその「塩鮭」でした。
 そしてこの「切り身」にはもうひとつ秘密がありました。それは鮭の頭から尻尾に向かって家族の「年齢順」に切り分けられていたということです。つまり,お父さんが最も頭に近い部分で末っ子には尻尾が回されるのです。しかも,正確には覚えていませんがその年功序列制は始めに「男性」が優先されていて母親の位置取りは最下位だったように思います。それはとんでもないルールではありましたがお父さんの「存在感の大きさ」に比例した切り身の「大きさ」にどこか納得していた子ども心があったようにも思います。一方で,年々小さくなる?お父さんの「切り身」は父親に代表される「大人存在」そのものの希薄化だったりするのでしょうか。
 そう言えば,近年我が家の「塩鮭」は女房と息子たちの方が私のそれよりも何か大きいような気がしないでもありません。今年こそは確かめてみましょう。(GP4317)

2008年12月13日 (土)

ベーグルスライサー

我が愛用機
 ある時期,私の昼食はクリームチーズとスモークサーモンのベーグルパンと決めていたことがあります。ベーグルは余分なバターや甘味料を使用せず生地を一度茹で上げてヘルシーであることが好まれて,一部に熱狂的な愛好家が存在します。その世界では専用トースターやチーズケースなどマニアックな調理器具やレシピ本など関連商品が一つのジャンルを形作っているほどです。
 中で最も気に入って米国から個人輸入したものが今,研究室のエスプレッソメーカーの隣にある「ベーグルスライサー」です。その器具はベーグルを横1/2にスライスするためだけに30×30×10cmもの大きさがあり,一回にスライスできる数も一個のみです。ベーグルをセットするのも結構面倒です。何よりも傑作なのは「ほかに何の用途もない」ことです。
 それは,大の男が一日一回その切れ味に満足してニヤニヤするためだけに存在する道具ですが私は好きです。こんなバカバカしいものの開発に誇らしげに情熱を傾け続けるひたむきな姿勢が大好きです。子育てとか教育とか,どこか似ているような気がします。(GP4317)

2008年12月 6日 (土)

いいかげんなもの

 インド西部の都市ムンバイでの銃撃・爆弾テロ攻撃?に日本人男性2人が巻き込まれたようです。世界貿易センタービル事件から続く一連の出来事に対する様々なコメントの中に「文明と文明」の対立として,その問題状況を説明する立場がありますが,この「対立」(conflict)という概念について考えさせられます。
 私たちは日常の様々な場面で「右か左か」「AかBか」と判断を迫られることが良くあります。確かに「白黒」つけて明解に対立を処理していくことは一見「合理的」で好ましく見えますが,人間の営みはそんなオセロゲームの裏表のように単純なものなのでしょうか。体内の雑菌をすべて死滅させた無菌人間がもはや生存不能なように,現実社会の多様な生き方や価値観の存在を「対立」として処理するところに高齢者や障害者問題の解決などはあり得ません。「理論」が奉仕すべき「実践」はそんな二律背反的な単純構造でないことを私達は経験的に知っています。
 ですから?私は,薄明かりの夕暮れ,昼下がりのまどろみ,淡泊な湯豆腐,熱くもぬるくもない露天風呂などなど「いいかげんなもの」(好い加減)が結構嫌いな方ではありません。(GP4317)