メイン | 青空祭を前にして -東日本大震災の年に- »

2011年5月20日 (金)

戴帽式の意義について考える

 去る5月7日に本学看護学科2年次生82名の戴帽式が、多くの来賓やご家族・保護者の方々の参列の下で行われました。学生たちが自主的に企画したのだと聞いています。現在はどの病院でも看護師はナースキャップをつけておりません。また看護婦も看護師と職名変更になり、看護職はいまや男女平等に選択できる職業として確立していまから、ナースキャップはいまや看護職のシンボルとはいえません。そのような時代に、私なりに考えた戴帽式の意義を以下のように式辞で述べました。一部のみを抜粋して紹介します。

 本学では1年次より看護学の専門科目を取り入れ、教養科目や福祉心理などの関連基礎科目と併行して学べるようにカリキュラムに工夫を加えております。それは、看護を学ぼうとする意志の強い学生の気持ちを大事にするとともに、看護を学ぶに当たっていかに様々な分野の知識が必要であるかということを理解しながら学べるという点において意義深いことと確信いたしております。2年次におけるカリキュラムでは、看護職の活動の場の一つである病院実習が組まれています。そこでは入院されている実際の患者さんの状態にアセスメントし、本当に必要とされている援助を見いだし、計画的に看護を実践することが求められます。その点において学生である皆さんは学ぶことが目的はでありますが、この実習は通常の授業とことなり、自分が学べばよいというものではありません。皆さんにとっては患者さんとの関わりの中で新しい自分を発見することのできるプロフェッショナルへの道の第1歩になるのであります。そのような意味において今日の「戴帽」の意義は、まさしく看護職という職業理念に根ざした新しい自己を確立する通過儀礼だと考えます。

 水色で清潔な、そして凜としたナースキャップを頭に戴いた皆さんが、誓いの言葉を述べる姿はとても感動的で、私は胸にこみ上げる高まりを押さえることができませんでした。もとより皆さんは深い感動を持って看護職者としての将来の志をさらに確固なものとされ、新たな決意をされたことと思います。感動というものは、深く人のこころを揺るがし、良き思い出として記憶に残るものです。これからの看護職者としての長い人生において、様々な困難に突き当たることもあるでしょう。その時には、今日のこの日の感動と誓いを思い起こしてください。

 「医療や看護の現場で活躍するためには、実践的な知識と技術に加えて、それに血を通わせる思いやりのこころが必要」です。どのような患者に対しても、その人の立場になって考えられるという心の訓練があって初めて、思いやりは「プロフェッショナル」になるものです。その上で「誰とでも、どんな状況でも、自分の言葉で語り、相手の心の痛みを感じ取り、人と接する能力」を磨いてください。ナイチンゲールが残した文の中にも「どのような訓練をうけたとしても、もし、感じ取ること、自分でものを考えること、この二つができなければ、その訓練も無用なものとなってしまうのです」とあります。忘れてならないことは「心」と「その心を伝える術」です。

Powered by Six Apart