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2008年8月21日 (木)

志しを高く

「内外教育」(時事通信社)から教育随想に寄稿の要請があって、常日頃の主張、「感動を与える教育」について俄か仕込みの仮説を披露しました。
ご意見を頂きたくお願いします。

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「志しを高く」
『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄氏著)で古生物学に『島の規則』(環境が動物のサイズを決定する。)があることを知った。私はむかし下宿の机の上のガラス製の容器で、未だ珍しかった熱帯魚を飼育したことがある。一年ほど後に某県の公舎に移って最初の作業が水槽作りであった。
フレームを鉄工所に特注し、ガラス屋でガラスを切って貰って組み立てる。
完成した大?水槽に放したエンゼルフィッシュが俄かに成長を始め、求愛活動を開始したのには感激し、教訓も得た。

ヒトには二足歩行や言語の獲得など飛躍的な発展段階がある。私たち近代文明人が機械工学的にヒトの能力を爆発的に高めた段階でヒト属ヒト科に新種又は亜種の “新巨人”が生まれたと云えないだろうか。新巨人をヒトの数十倍のサイズの動物と考えると多くの疑問が氷解する。サイズの大きな動物ほど産仔の数が少なく、成熟までの期間が長い。少子化も最近の青少年の精神発達の幼稚さもこれで説明がつきそうだ。

北京五輪で世界に活躍する若者と希望格差に打ち拉がれて連続殺人に走る若者との違いは何だろうか。エンゼルフィッシュに狭いバットから逃避の選択肢はないが、新巨人の世界は、目的を持てば未知未踏に至る広さがあり、目的を持たねばパワーを持て余す閉塞空間である。ヒトのDNAには飢餓対応の目的意識が刷り込まれている。飢餓を経験した私たち世代は特に意識しなくとも目的無しとはしないが、飢餓認識の無い新巨人は、人生のある時期に目的意識に目覚めなければ何の目的も生き甲斐もない人生展望しか持てない。

子ども達に目的を示す存在をわが国社会のどこに求めるか。ご両親をはじめ、社会の各層も新巨人一世の立場にあって信依し難い。せめては大学、短大の教職員集団が目的(志し)を高く掲げてその任に当たらねばなるまい。それが大学、短大の危機と云われる時期に際して、その存在意義を確かにする最大又は唯一の方途でもあるだろう。
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