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2008年10月 3日 (金)

学習力

 いま熱心に論議されている『学士力』検定が、大学卒業者個々人の学力検定なのか?大学評価に関連する教育水準検定なのかは定かではないが、水増し大卒者に愛想を尽かし、質の向上を狙うことには大いに意味がある。しかしそれが一方的に最終ステージの大学に責任を負わせ、教育投資の削減をも期待した一定水準?以下の学生の切り捨て、削減を意図するものであれば大いに問題がある。

 日本の教育は初等、中等、高等教育のうち、初等教育は義務公教育、中等教育は実質的には義務教育に準じて100%に近い進学率のかなりの部分が公立、高等教育だけが学生の大部分を私学に依存した50%を僅かに超える進学率である。幼稚園の段階で留年があるというドイツなどと違って、初等、中等教育では学力不足による留年は稀である。十数年前に7,5,3という言葉があった。授業を理解出来ない生徒が高校2年で7割、中学校2年で5割、小学校5年でも3割というのが、7,5,3の由来であるから、学力不振の淵源は根が深い。更に加えて子供達の社会常識の欠如が云われる.小学校低学年の学級崩壊が幼稚園にまで遡ったとの噂を聞く。

 大学が学校生活の最終のステージであるから、それに相応しい教育、深遠な学問の伝授をもっぱらにして、貴重な授業時間を高校以下で教え損ねた基礎学力、基礎知識、更には社会常識に割くのは邪道とする説があるが、それは旧いエリート大学の残像ないし郷愁による説でしかない。教育はそれぞれの段階ごとに完結して次の段階に進むべしとする正論に立って段階ごとに相当割合の進級不適格者、留年を出すことは、わが国の教育の形式主義、悪平等主義の伝統が許容しないであろう。高校以下の教育の欠陥を大学で補完してようやく大学教育がスタート出来る現実は、ねぎらいの言葉があっても非難され、排撃され得ることではない。

 これからの世界でわが国の進路が知的、技術立国であれば、大学教育の質の向上と共に大卒者の量の拡大もまた喫緊事と信じて疑わない私は、少子化にも拘わらず大学進学率の低迷の現状は、大学進学のコストと大卒のメリットがバランスを失していることが原因と考える。我が青陵大学と短期大学部では、学園の存在意義を賭けて、次の二つの方向を提示したい。第一に学生が社会に出て必要とする学力、技術(高校以下で習得すべき基礎学力、社会常識を含む。)と併せて明確な目的意識(できれば“志し”にまで昇華させたい。)を身に付けさせたい。これは全人格的な感化が必要なので、先生方が個人塾開設の気概を持って頂かねばならない。第二には本学園での学習を四年ないし二年で卒業イコール終了とするのではなく、生涯学習に引き継ぐ態勢を構築したい。(eラーニングはその為の不可欠のツールである。)これらは全学科、全教科、全学生に及ぶものであり、従来の授業方式とは大きく異なって、すべての教職員各位に重い負担をお掛けするものになろうが、既成のブランド力を持たない本学園が生存を賭けたチャレンジと心得て頂きたく、ご協力をお願い申し上げるものである。

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