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2008年12月 1日 (月)

学士力

「学士力」についての論議は、誰でもどこかの大学には入学できるいわゆるユニ
バーサル大学時代に、「学士力」を持たない名目上の「学士」の多数輩出を苦々
しく考える向きがあることから、大学に改善の努力を求めるだけでなく、『学士
検定』に合格しなければ学士の称号を与えないなどの制度に発展?するなどの方
向を考えるものでしょう。
先ず私は、 「学士力」強化構想に双手を挙げて賛成します。何故ならばいま、
大学(短大を含む。)が全体として入学定員割れを生じているのは、大学
卒業のメリットがそのコスト(学費負担)に見合っていないことに尽きます。予
想されるわが国今後の平均可処分所得低下は、中間所得階層に大学進学敬遠の風
潮を助
長するでしょう。逆風の中でもブランド大学はそのブランド効果で当分の間は大
卒のメリットを誇示し得るでしょうが、ブランド力を構築できていない本学(新
潟青陵大学、同短期大学部)のような地方、中小大学は、卒業生の実力「学士
力」で勝負しなければなりません。ブランド力やキャンパスの威容、有名教授陣
容ではなく「学士力」で大学が評価されることを歓迎します。
 学費負担の軽減は、政府、社会、大学当局がともに努力すべきことは云うまで
もなく、特に私学に対しては、存廃を賭けての競合関係にある国、公立大学との
イコールフッティングを必要とする見地からも早期の実現を期待します。本学に
おいても学内奨学金、TA手当などによる授業料の学生還元とそのための財源捻
出ないし基金造成について真剣に検討を進めております。
 学士力(教育効果)低水準化の原因は、初等、中等教育からの延長で論議され
るべきですが、大学教育について云えば、エリート大学からマス大学、ユニバー
サル大学並存の変化にも関わらず、相変わらず大学と云えばエリート大学を念頭
(旧制高校時代への郷愁を含み)に置く一部社会の錯覚がマス、ユニバーサル大
学における研究偏重と相対的な教育力軽視、従って「学士力」低下に繋がったと
も云えそうです。(研究と教育の軽重,優先度について云えば、使命感と先見性
に優れた“先端的”研究者は、その存在自体が教育効果を持つ。徒に論文数を増や
すことが目的の研究は教育への情熱と相反なしとしない。)
 本学においても授業公開を含むFD,SDを実施して、教育力充実に努めてい
ますが、「学士力」強化のためのカリキュラムその他の仕組み、授業方法の改善
などについては五里霧中の段階です。愚見では、「生きる力」や一般教養(リベ
ラルアーツ。知識の断片ではなく、自己の内なる知識の体系化)は、“暗黙知”の
伝授による部分が多く、尊敬と信頼に結ばれた師弟?に近いシステムを大学内に
構築することが課題と考えています。
 「学士力」の強化を各大学それぞれの目標に止めて、システムとしての判定は
しないとするのか、何らかの権威がその判定に関与するシステムを想定するの
か、情報開示は等々の問題は、上部機構にお任せして、本学は一刻も早い地域社
会に通用する「学士力」強化に努めたい所存です。

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