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2009年1月 6日 (火)

年頭の挨拶

 華々しい北京オリンピックは中国が世界の超大国としてのデビューを、米国初の黒人大統領にオバマ氏の就任は、アメリカが変化し発展を続ける超大国であることを示したようですが、同時に百年に一度とも云われる世界経済の不況に突入したのは皮肉なことです。この不況は実体経済からすれば、米国の野放図な官民の借金体質と中国の低賃金を武器とした安値輸出攻勢が、世界の経済成長を支えてきた。世界中の国も企業もその恩恵に預かってきた。その付の清算には多大な犠牲と時間を要すると覚悟せねばなりますまい。
この不況は当然のように大学特に私立大学教育を直撃します。今までも大学進学率が55%程度に止まり、入学定員に余裕があるのにこれ以上伸びないのは、幾つかの原因がある中で、コスト(学費負担)が成果に見合わないからだと私は思ってきました。先進工業国では途上国の追い上げにより二次産業従事者が三次産業(サービス業)に移行して、その可処分所得を低下させます。それは米国において特に甚だしく、わが国も例外ではありません。大学に進学させたくとも家計が許さない状況が、この大不況の影響で深刻になるのは必至と考えます。それでは、我が青陵大学(短期大学部)でいま何をすべきでしょうか。
「時代が要求する地域のニーズに応え得る学生」を地域に、企業、組織に送り出す。「学士力」を身に付けた卒業生を輩出することが第一ですが、「学士力」とは何でしょう。大学(短大)を出て学士の称号は貰っていても、「学士力」の不足が気に懸かると云われます。「学士力」とは中学、高校以来の点数至上主義の延長ではありません。そのような誤解を避けるために、「学士力」に問題の解決能力や意思の伝達、説得能力が必須と強調されます。それは小、中、高校教育を通じて肝要なことであって、大学教育にだけ求められるものではありませんが、教育の最終ステージでは最終の責任を取らねばなりません。そこで点数で表示されない「学士力」を高める方法は何かが問われます。「学士力」に必須の「問題の解決能力や意思の伝達、説得能力(コミュニケーション能力)」はいわゆる「暗黙知」に属します。それは共通の目的達成のための共同作業でしか身に付かないもので、黒板とチョークで教えられるものではない筈です。
NHKの大河ドラマ「篤姫」で大活躍の西郷、大久保といった薩摩藩を背負って明治維新の大業を成し遂げた人々は、島津斉彬の「国家の統一と近代化の大事業に参画」させられたことで、その志しと能力を身につけました。薩摩藩と手を組んだ長州藩を動かしたのは、長州藩の殿様ではなく、失意の吉田松陰が松下村塾でその志しと行動の決意(国禁の海外渡航を企てて死刑。)を伝授した下級武士その他の若者です。大なり小なりの志し,志には至らないまでも多種多様の目的が人生の起動力となり、人生の先輩、学園でいえば教職員の志しまたは目的追及の在り様が学生に感動を与える。その感動が「教育」の原点なのです。共通のテーマに共同作業で解決を見出すPBLの授業方式に注目していますが、授業科目でなくとも何らかのイベント開催に共通の情熱を注ぐことが「学士力」を高める有力な方法と考えます。教職員特に教員各位は出来るだけ早く調査、企画、実行に取り掛かって欲しいと要望します。
冒頭に述べた経済問題は不況が雇用に重大な影響を及ぼしつつある現在、早急に対策を講ずべき問題です。財政的に余裕があるとは決して云えない青陵学園ですが、身を削る覚悟で経済困窮学生支援措置を設ける所存です。どこまで多大の金額で、どれだけ多数の学生の支援が出来るかよりも、本学園の教職員が身の痛みを犠牲にしても、学生の為を図る。そのことが現在だけでなく将来にわたり学園のバックボーンとなることを信じて疑いません。我が学園は三年に一度くらいの間隔で大きな変革を実施してき、その変革のリスクを恐れない覚悟とエネルギーを、全ての教職員が共有しているので、今回の変革も十分に理解して頂けるものと信じます。

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