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2008年11月

2008年11月29日 (土)

メンフレこぼれ話(7)

学校は楽しかった

 ご紹介する学生さんは新潟県の北に位置するY県の地方都市から本学へ進学なさったお嬢さんです。彼女は入学直後から子どもとの関わり(児童福祉)に強い関心をお持ちになり,私の研究室が主催する「児童福祉ゼミナール」に参加資格が発生する2学年進級直後から活発に学習を始められました。一足先に開始したメンタルフレンド活動でも隣接する小学校での放課後解放プランに,それはもう,心から楽しそうに毎回参加してくれていました。
 そんな彼女がある時,顔を曇らせてこう言うのです。「なんで不登校とか言って学校に行かない子ども達がいるのでしょう」「だって私にとって学校は楽しいばっかりのところでしたから」と。そうなんですね,彼女が通学していた学校には愉快な仲間がいて,休み時間の楽しい遊びがあって,何でも教えてくれる頼もしい大人(先生)が待っていてくれるワンダーランドだったのです。確かに私たちの記憶の中にある「学校」は,あの嫌な勉強を除けば,それを超えてお釣りが来るくらいに,気持ちがワクワクする「何か」が待っている「子どもの居場所」だったような気がします。今,文科省や社会教育分野では「居場所作り」というキャッチコピーが声高に言われ始めていますが,あの楽しかったはずの子どもの居場所は学校から何処へ行ってしまったのでしょうか。
 2年前の春に本学を卒業した彼女は今,地元の社会福祉施設でお年寄りの生活支援に燃えています。その意味で,心の居場所つくりとして第二ラウンドのメンタルフレンド活動真っ最中です。(GP4317)

2008年11月22日 (土)

高貴の責務

 「定額給付金」なるものをめぐって何やら迷走状態が続きました。当初構想の一律給付案と高額所得者まで給付対象にすることに異論を唱える立場の混乱だったようですが,「今の生活に多少の余裕もあるので今回は給付金をお返しします」という自主返納制度導入に踏み切ったなら「ノブレス・オブリージュ」(高貴の責務)ではありませんが,今の日本に「何が起こるのかな?」と大いに興味もあります。

 偽りの申告で自分では買っても無い代金の払い戻しを企てる輩に腹立たしさを覚えますが,もしかして,今回の給付金自主返納事例がたとえ一件でもあったなら「まんざら日本も捨てたものでもないな」と心が落ち着けるかもしれません。お互いが余裕のある範囲で社会にその「責務」を還元していこうとする態度は,私たちが身を置く福祉のそれと多分に共通する概念かもしれません。その意味で,日常の福祉実践の放つ「光」がこの社会における「ほのかな明かり」となること("福祉実践を世の光に"〜糸賀のパクリです)をまた祈り,信じるものです。

 ところで,我が新潟市は自主返納制度を取り入れるのでしょうか。昨年度の源泉徴収票などを取り出して,実はソワソワしたりしています。当方ノブレス階級ではございませんので,ハイ!!。(GP4317)

2008年11月15日 (土)

旬の味覚

今年の作品です
 今年も「サンマ」の脂がのって最高の季節となりました。我が家ではこの海からの贈り物をシーズンに一回だけ「七輪(しちりん)」で焼いて食することにしています。子どもの頃からの炭火熾しに,息子は,その時ばかりは未だに火遊び感覚です。たいして珍しいものでもないのに時期になると年に1回は食べてみたくなるものがありますが,あの香ばしく食欲を誘うサンマもそのひとつでしょう。
 通勤途上のコンビニには「○○グルメ」とか「○○の饗宴」とか言って,毎週のように新しい企画モノ商品の横断幕と宣伝旗がたなびいて,否が応にも私たちの購買意欲を煽ってくれます。それはそれで少し惹かれるものがあることも正直に白状しますが、一方で子どもの頃から慣れ親しんできた「食の定番」といわれるものが私たちの周りからどんどん姿を消していっているように思えてなりません。
 それはその「定番」が私たちに与えてくれていた「季節感」の喪失にもつながっています。もはや「旬」(しゅん)という言葉は死語になってしまったようです。夏の匂いのする完熟トマトの向こうに広がる昆虫採集の思い出は今何処へ行ってしまったのでしょうか。とうの昔に旬を過ぎてしまったオヤジの独り言です。(GP4317)

2008年11月 8日 (土)

メンフレこぼれ話(その6)

僕は関係ないワン!!

 約10年前にお子さんのことでお会いしたお母様とのお付き合いが今でも続いています。とはいうものの,お子さんの問題での御相談とメンタルフレンドさんとの関係はとうの昔に終結しているのですが,お母様から私へのお電話を年に1・2回いただくのです。ケースとしての本人はバイトで運転免許を手に入れてもうとっくに立派な社会人です。

 お母様からのお電話は決まって最近の彼の様子と「あれだけ心配かけたのに,一人で大人になったような顔をしていい気なものです。」という内容で,私の方も懐かしくお二人のことを思い出しながら「まったく親の心,子知らずで」とお返しします。たったそれだけのことなのですが,子ども部屋から一歩も踏み出さず昼夜逆転して私達をハラハラさせた彼のことを,何年も協働して支援し続けた「戦友」である私とお母様にはそれ以上の言葉は無用です。互いの元気(達者)を確認しあうことでもう十分なのです。

 相談業務における私達の存在は「家族システム」の外側に無縁に存在するその場限り(一過性)のお付き合いではなく,家庭という組織の一員としてそこへ同席させていただく内部システムの構成要素(配役済みの登場人物)となるのだと言う責任の大きさをいつも思い出させていただくお電話です。(GP4317)

2008年11月 1日 (土)

施設実習

 今、大学では3年生が一斉に現場実習(福祉施設)に出ています。期間は12日間とさほど長いものではないのですが送り出した側としては「今頃どうしているのかな」と少し心落ち着かない毎日が続きました。
 そんな中で先日は3箇所の実習施設訪問に出かけてきました。実習先へは2~3人程度の学生がグループで入りますが皆それぞれに私の顔を見るとニコッと笑顔で迎えてくれます。そこでいつも感じるのですが、場所が違うせいでしょうか,彼ら学生が普段の学校とは違う顔と行動を見せてくれるのです。いや、実際に実習指導担当者の方々からお聞きするお話にも「えっ!?」と思わず聞き返したくなるような意外な一人一人がそこには存在します。改めて思うのですが私たちの個性には皆、色々な側面(可能性)があって,光のあて方を変えると見え方も輝きもそれぞれに違って見えてくるのですね。
 毎年実習から戻ってくる学生さんたちはそれぞれに大きく変化して大人に見えます。きっと、普段とは違う刺激や人間関係の中で彼ら自身も自らの新しい可能性に気づかされて帰ってくるのかもしれません。明日からの彼らに新しい光と風を提供することが私にもできるのでしょうか。(GP4317)